『Pathways』第8章:柳井奨学金受給生・大原明さん

Pathways Chapter 8 Akira Ohara Experiences Feature
帰国子女アカデミー創設者チャールズ・カヌーセン氏の著書『Pathways ―バイリンガルが歩んだ道』から一章をご紹介。日本でバイリンガルになり、柳井正財団海外奨学金を勝ち取った大原明さんの歩みをたどります。

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6月、IST編集部は、Global KA HoldingsのCEOであり、帰国生やバイリンガル生のための日本有数のプログラム「帰国子女アカデミー」の創設者でもあるチャールズ・カヌーセン氏に、新著『Pathways ―バイリンガルが歩んだ道』についてインタビューした記事を公開しました。

[インタビュー] チャールズ・カヌーセン氏が新著『Pathways ―バイリンガルが歩んだ道』を語る ― 日本でバイリンガルに育った12人のサクセスストーリー

このインタビューでは、帰国子女アカデミー創設者のチャールズ・カヌーセン氏が、日本の若者たちがバイリンガルになることに成功した12通りのさまざまな方法について描いた新著『Pathways ―バイリンガルが歩んだ道』と、ご家庭に向けたヒントについて語ります。

本書は、日本人の若い日英バイリンガル12名へのインタビューを収録し、それぞれが異なる方法で二言語習得を実現した過程を紹介しています。

本記事では、本書のプレビューとして、全12章のうちの1章をご紹介します。

『Pathways ―バイリンガルが歩んだ道』第8章:大原明(Akira Ohara)

人物紹介

柳井正財団海外奨学金は、日本でも屈指に手厚い民間奨学金です。これを立ち上げたのは、「ユニクロ」の親会社である株式会社ファーストリテイリングの代表取締役会長兼社長、柳井正氏。海外の一流大学に合格した学生には、授業料と生活費が全額支給されるため、受給者は金銭的負担を気にせず、大きな目標にのびのびと挑戦することができます。

これから紹介する、わたしのインタビューに答えてくれた3人はみな、この柳井奨学金受給生です。奨学生に選ばれた誇りを胸にそれぞれの道を意気揚々と進んでいます。この3人の話をきくと、才能と行動力あふれる若者がじっくりと将来を見据え、チャンスに恵まれたら、人生を大きく変えられることがわかります。

Pathways Chapter 8 Akira Ohara Profile

最初にご紹介するのは、大原明さんです。明さんがバイリンガルになるまでの話にとりわけ説得力があるのは、その道のりがとても身近で、実現可能に思えるからです。明さんの出発点はごくふつうでした。地元の英会話スクールに2、3年通っただけだったのです。でもこれは、正しい方向に踏み出す第一歩になったことは、多くの親御さんにも想像がつくでしょう。そこから明さんは持ち前の好奇心を発揮し、地元の学校も日本すらも飛び出してさまざまなチャンスをつかんでいきました。一歩前に踏み出すたびにそれが、より大きな自分の未来を思い描く自信につながっていったのです。

明さんと話をしている間、最も印象的だったのは彼の持つ強いオーラです。よどみなく、自信たっぷりに英語を話しますが、そのうえ思わず引きこまれ、姿勢を正して耳を傾けずにはいられない、和やかなカリスマ性があります。本人は「自分は特別おしゃべりでも、社交的でもない」といいますが、科学やテクノロジーの話題ともなれば目を輝かせ、じつに話題豊富です。これまですでに素晴らしい実績を重ねられてきましたが、それをここでわたしがただ並べるより、ご自身の言葉でそのご経験を語っていただこうと思います。とりあえずここでは、明さんは未来に大きな夢を抱く、陽気で、行動力があり、まわりを元気にしてくれる若者だということだけ、お伝えしておきましょう。

大原明さんとのインタビュー

明さん、今日は貴重なお時間をありがとう。さっそくですが、そもそもの始まりから教えてもらえますか。英語との最初の本格的な出会いはいつだったのでしょうか?

うーん、じつはちゃんとした勉強ってしていないんです。小学校のときに2年くらい英会話スクールに通って、ほんのちょっと基礎をやったくらいでしょうか。本当のターニングポイントは、日本にあるボーイスカウト・オブ・アメリカ(※当時名称)の「隊(トゥループ)」に入ったことでした。

日本でアメリカのボーイスカウトの隊に入ったのですか? すごく珍しいことですね?

そうですね。たぶん、珍しいと思います。でもぼくのいた隊のメンバーの大半は、アメリカンスクールインジャパン(ASIJ)とかセントメリーズみたいなインターナショナルスクールの生徒とか、親がアメリカ大使館に勤めている子ばっかりでした。最初のうち、ぼくは英語がほとんどできなくて、ついていくのがやっとでした。でも、ぼくの隊はフレンドリーで、すぐに友だちができたんです。ですから、キャンプにいったり、(一定の課題をクリアするともらえる)メリットバッジを取ったり、みんなとつるんでいる間にだんだん英語が身についてきました。それと、スカウト活動ではマニュアルを読んだり活動報告を書いたりすることが多いから、いつも英語を使わないといけなかったんです。

中学入試では英語が受験科目でしたか?

いいえ、ぼくはそうじゃありませんでした。ふつうに日本語で受験して、郁文館に入りました。「英語入試」コースで受験するなら英語を選べたんですが、そのときはまだ、そのコースを選べるほどの自信がなかったんです。でもいざ授業が始まってみたら、何人かの先生がぼくの英語力ならやっていけると気づいてくれて、ふつうは帰国生向けの、1番レベルの高い「グローバル」クラスに入れてくれたんです。あれはものすごくうれしいサプライズでした。

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それはいい刺激になって、自信もついたのではないですか?

間違いないです。「あれ、ぼくの英語って、じつはすごいのかも」って思えましたから。ボーイスカウトの仲間とだけつるんでいるときは、そんなふうに思ったことはありませんでした。

インタビュー前の雑談で、「オーストラリアには2回いっている」という話がありました。まず最初の渡航はどんなものであったか聞かせてもらえますか?

もちろんです。最初にオーストラリアにいったのは、郁文館中学にいるときでした。クイーンズランド大学でSPARQ-edっていう期間限定プログラムがあるって知ったのがきっかけです。期間は2週間足らずでしたが、ぼくはその間、本物のラボで働きました。がん細胞を扱ったり、現役の研究者の方が本格的に取り組んでいる臨床研究を手伝う機会がありました。

「これは自分で応募した」という話もありました。郁文館の必修のプログラムではなかったのですか。

はい。学校主催のプログラムじゃありません。でも学校の理科の先生が教えてくれて、応募してみたら、って言ってくれたんです。すごく面白そうだったし、興味を持てそうなことだったから、行ってみようかな、って思って。新しいことに挑戦するのが好きなんです。

明さんを見ていると、わかる気がします。でもその年齢で、かなり積極的ですね。

いやあ、ありがとうございます。でもただ、面白そうって思っただけなんですよね。クイーンズランド大学に着いてもすぐに、その環境を満喫しました。だって、白衣を着て、どうやって研究するのかを知れて、現場のプロセスを見られるんですから。科学がとってもリアルに感じられたんです。

で、高校でもまた、オーストラリアに行ったのですね。どうしてまた行くことになったのでしょう?

当時、郁文館グローバル高校の生徒は全員、1年間留学しないといけなかったんです。行き先はいろいろありましたが、ぼくはまたオーストラリアを選びました。行ったことがあるから、っていうのもありましたが、オーストラリアの教育スタイルとか方針では研究やレポートを重視するって知っていたからです。試験のための詰め込み勉強をさせるだけじゃなくてね。そういう学ぶ姿勢が、大学レベルの研究にも役立ってくれました。それにもちろん、英語力もぐん、と伸びたんです。

まるまる1年間ですか? どこに住んでたのですか?

ホストファミリーの家です。いい経験をしたし、ご家族にもすごくよくしてもらいました。でも正直いうと、いつも楽なことばかりというわけにはいきませんでした。家まわりの家事もやらなきゃいけなかったし、門限もあったし、責任をもってきっちりと守らなきゃいけない決めごともあった。そういうことには、まったく慣れていませんでしたから。でも、そのころ家のことをやらなきゃいけなかったからこそ、将来、海外でもひとり暮らしできそうだなって自信がついたんです。

そう考えると、最初の渡航で「自分から動ける人間だ」ということが示され、2度目の渡航で、その決断を支える実体験を積んだ、ということになりますね。

まさしくそうですね。それぞれの経験が違った側面から、ぼくを成長させてくれました。

郁文館グローバル高校の教育カリキュラムは当時かなり斬新だったんですよね?

はい。ですから、日本の高校にふつうにあるみたいな昔ながらの部活やクラブがそんなにないんです。代わりに、自分たちでクラブやプロジェクトを立ち上げるように、先生からいわれます。あのとき好きにやらせてもらえたのは、またとないチャンスでした。っていうのは、まずロボット工学のことを知って、たちまち気になりだしていたタイミングで、同じ興味を持つクラスメイトを集めてチームを作り、ゼロからなにかを立ち上げることができたんです。

それがきっかけで、ロボットコンテストに応募したんですね?

そうなんです。ぼくのチームは(世界最大規模の高校生ロボットコンテストである)FIRSTロボット工学コンテストに出場してハワイやラスベガスまで遠征しました。次々に勝ち抜いて、テキサス州ヒューストンでおこなわれた決勝大会まで進めたんです。あれもぼくにとって、大きなターニングポイントでした。アメリカでは高校発のイノベーションにどれだけ投資しているのかを実際に肌で感じることができて、本当に目からウロコだったな。だってね、どの会場にいってもアリーナいっぱいにロボットを作った高校生が集まっているんですよ。ガツン、ってきました。それ以来、いつか会社みたいなものを立ち上げるのもいいかも、って思うようになりました。

で、実際に立ち上げたんですよね?

うーん、そうですね。でも、ひとりでぜんぶやったわけじゃありません。クラスメートと、STEM(科学・技術・工学・数学)教育を日本に広める一般社団法人を立ち上げたんです。スポンサーを集めて、アウトリーチ・プログラムをいくつも展開し、後進の学生を育てました。非営利団体ですが、本物の会社を経営しているような感じがしました。理事会もあるし、法的な手続きは山ほどあるし、決算書も作らないといけない。資金も集めました。なんと、800万円くらい集まったんです。こういう体験をして気づいたのは、ぼくはサイエンスも好きだけど、ビジネスも好きなんだな、ってことでした。

よかったら、柳井奨学金のこともちょっときかせてもらえますか。これまでインタビューをした学生さんのなかで、この奨学金をもらった人はほかにいませんでした。この制度をどうやって知ったのですか?

うーん、そうですね。これ、日本ではじつはかなり有名ですよね。だから、中学のころから知ってはいました。でも、まさか自分がもらえるとは思っていなかったんですよ。ところが、また別のある先生が受けてみればいい、って背中を押してくれて。それで、ダメ元でもいいや、って思って応募したら、合格しちゃったんです。それで、今に至るというわけです。

書類審査で残れた決め手はなんだったと思いますか?

よくわかりません。でも、柳井財団のコミュニティでこれまで会った人たちをみる限り──このコミュニティ、本当にすごいんですけど──みんな、「生まれ持った好奇心」とか「みずから動く姿勢」を備えた人ばかりなんです。もしかしたら、そういった側面から選んでもらえたのかもしれません。

奨学金のコミュニティが「本当にすごい」ってどういう意味なのでしょうか?

なんていったらいいのかな。びっくりするほどフランクで、あったかいんですよ。財団では毎年キャンプがあるんですが、OBやOGも集まって、世代を超えて奨学金生がつながるイベントなんですね。そこでぼくが出会ったどの方も、ご自分の専門──物理とか、生物学とか、アートとか、さまざまな分野で情熱を持って活動をされています。そうありながらも、オープンで、フレンドリーで、親切で。これまでに、ケンブリッジ、スタンフォードといった多くの一流大学で学んだ先輩方とお会いすることができました。感動してしまいます。今までどんな道を歩んできたかとか、ご経験談とかをきき、ぼくたちみたいな後輩の力になろうとしてくれる姿勢に接すると。

これからのことについてもお聞かせください、将来の夢はなんですか?

日本の宇宙産業の商業化に携わりたいです。自分の会社を立ち上げる形でもいいし、新しい取り組みについては、官公庁や大学、企業との産学連携という形を取ることもできます。今のところ、日本の宇宙開発はほとんどが、政府主導です。でも、日本にはしっかりとした製造業の基盤も、技術力の蓄積もあります。ですから、民間セクターが盛り上がる素地は十分にできているはずなんです。たとえば自動車産業では、宇宙ビジネスに応用できそうな技術をすでにたくさん開発しているんですよ。車の製造がかつてイノベーションや雇用の起爆剤になったみたいに、ロケットの製造と打ち上げが進歩の新しいうねりを起こすかもしれません。

たのもしい限りですね。自分の能力を日本のために役立てようと考えているのですね。

ありがとうございます! 柳井財団は海外留学経験を日本で活かそうとする学生を真剣に応援してくれています。まさしく、ぼくはそういう人になりたいんです。

明さん、エキサイティングな話をどうもありがとう。10年後くらいにまた、お話できたらいいですね。楽しみにしています。そのころにはロケット会社のCEOになってるはずですね!

こちらこそ、楽しみにしています!

振り返って

明さんとのインタビューからは、優れたサポート環境が若者の人生にどれほど大きな影響を与えるかがよくわかります。郁文館のグローバルプログラムでは、生徒のみずから動く力を伸ばしていました。明さんはまさに、そのように行動しました。自分で面白そうなチャンスを探し出し、仲間とロボット工学のプロジェクトを立ち上げ、同世代の若者ではなかなか思いつかないような未来を思い描き始めたのです。そのうち、心と想像力のままにのびのびと動くことをよしとする郁文館グローバル高校の自由な校風に感化され、オーストラリアでサイエンスの世界に飛び込み、グローバルな舞台でロボットコンテストにチャレンジし、STEM教育発展のために何百万円もの資金を集められる非営利団体を仲間と立ち上げるという経営スキルを磨きました。どれをとっても、どんなバックグラウンドを持つ若者であっても、偉業です。しかも明さんの場合、はじめは英語もさほどできなかったことを考えたら、驚くべき活躍です。

明さんが別の学校に通っていたら、今とは違う人間になっていたでしょうか──なっていたかもしれませんが、もちろん、それはだれにもわかりません。それでも、このことは断言できます。若者に自信をつけさせ、意欲を引き出し、一生を通じて力強く生きていく方向性を示したいなら、その子にぴったりのプログラムや才能を伸ばす環境を与えてくれる学校をみつけることが絶対に不可欠です。まさしくそういうことが、明さんに起きたのです。

ビジョン 2035 : 日本の将来を見据えた英語能力の向上

私たちは、グローバル化した世界における日本の未来は、次世代が活躍するための言語ツールを提供することにかかっていると信じています。

お子さんの進路に悩むご家族にとっては、明さんのエピソードは励みになるものであり、ある意味ひとつのロールモデルでもあります。英会話スクール、ボーイスカウトへの参加、短期の海外留学プログラムと、スタート地点がどれだけ地味でも、本人の好奇心と周囲の真摯なサポートがあればどれほど華々しい変化が起こせるかがわかります。教育者からみると明さんの進路は、心のままに動ける場を生徒に与え、心や想像力を自由にはばたかせたら、どれだけ大きな結果につながるかをあらためて思い起こさせてくれます。明さんの場合、その自由な気風のおかげで未来につながる情熱をみつけることができました。おそらく、日本の未来にもつながるかもしれません。

(本書巻末の参考資料のセクションでは、「柳井正財団海外奨学金」プログラムの詳細や、日本国内外の短期プログラムの情報もご紹介しています。明さんのようにエキサイティングな進路に向けて一歩を踏み出そうとしている生徒さんはぜひ、参考にしてください。)

バイリンガルへの道のさらなるストーリーは、ぜひAmazonで本書をお手に取ってご覧ください:

[Amazon] Pathways ―バイリンガルが歩んだ道

バイリンガリズム(ふたつの言語を使いこなす能力)の大切さを広めるべく、バイリンガルとして世界で活躍する12人の学生たちの「歩み(pathways)」をインタビューを交えて紹介し、どうすればバイリンガルになれるか、バイリンガルになったらどんなことができるのか、など、バイリンガルが発揮できるさまざまな強みを紹介する。

この記事の記者

ジェレマイヤ・イェ

ジェレマイヤ・イェは、帰国子女アカデミーにおいて、国際教育・バイリンガル教育向けの教材および教員研修プログラムの開発を率いています。カリフォルニア大学サンディエゴ校で言語学を専攻し、第二言語習得を中心に学びました。生徒と教育者の双方に向けた教材・リソースの開発を通じて、日本の教育の質の向上を目指しています。