2012.08.29
インターナショナルスクールの校数は、平和の指数。
日本のインターナショナルスクールの発祥について調べていくとわかることがふたつあります。
ひとつは、戦争の前後に、インターナショナルスクールの数は増えない、ということ。
ふたつめは、平和な時代が続くと経済成長がともない、インターナショナルスクールの校数が増える傾向にあること。
日本のインターナショナルスクールの幕開けは、明治ですが、当時の日本は日清、日露と戦争が続きます。
その間、第一次世界大戦を挟みほとんど学校は増えません。
第二次世界大戦の前後には、インターナショナルスクールとナショナルスクールを含め、多くの学校が休校を余儀なくされます。
戦後、復興期にインターナショナルスクールとナショナルスクールが戻ってきます。
しかし、当時の日本は物資も不足し、インターナショナルスクールもナショナルスクールもほぼゼロからの再開となりました。
高度成長期には、日本全国でインターナショナルスクールの設立が増えます。
その背景には、米軍基地の存在があります。
基地関係者を対象とした学校がありましたが、基地が撤退した時に、インターナショナルスクールとして引き継ぐ例が多く見られました。
その後の日本の経済成長とともに校数も増えていきました。
戦後68年が経過し、日本のインターナショナルスクールの数は認可されているだけで150校にもおよびます。
明治から大正、昭和初期、学校数は、10校に届きませんでした。
150校。
この数字は、平和の指数であり、今後も校数が増えることがあっても、決して、減らしてはいけません。
インターナショナルスクールの校数は、平和の指数です。

最新の投稿
帰国子女アカデミー第2回中高生対象スピーチコンテストを 東京アメリカンクラブで開催
2025年9月15日、帰国子女アカデミーは、第2回中高生対象スピーチコンテストを 東京アメリカンクラブで開催し、50名を超える熱意あふれる生徒たちが登壇しました。
VEXロボティックスについての説明とそしてこれがどう子供の学習に向いているのかをFAQも含めて解説してます。
日本におけるニューロダイバーシティとインターナショナルスクール
インターナショナルスクールは、多文化・多言語・多様な神経特性を持つ子どもたちが共に学ぶ場として、ニューロダイバーシティ(脳の多様性)を実践的に体験できる教育環境を提供しています。 日本でも近年、企業や文化の分野でニューロダイバース人材や障害のあるアーティストの価値が認識され始め、社会全体が「不自由」ではなく「能力」として多様性を捉える方向へ変化しています。 保護者は子どもと日常の会話の中で「違い」を強みとして伝え、互いの多様性を認め合う力を育むことが、未来の社会を豊かにする第一歩となります。
想像してみてください:高校3年生がストレスを抱え、真っ白なPC画面に点滅するカーソルを見つめています。そしてChatGPTを開き「大学のエッセイのアイデアを考えてくれる?」と入力する・・。こうした光景がますます増えています。生成AIはもはや未来的なツールではありません。普通の学生たちが大学入試という迷路を攻略するために活用しています。しかし、大学側はこれを容認しているのでしょうか?
いまや私たちの生活のあらゆる場面にスクリーンが存在し、多くの家庭にとって、子どもたちがそれらとどう関わっていくかが、現代の子育てにおける大きなテーマとなっています。学習、娯楽、友人との交流など、用途は多岐にわたり、オンラインで過ごす時間はかつてないほど長くなっています。では、保護者は、子どもたちがスクリーンタイムと健全に付き合うために、どのようにサポートできるのでしょうか?
インターナショナルスクールタイムズの編集長として、執筆しながら国際教育評論家として、日本経済新聞やフジテレビホンマでっかTV、東洋経済、プレジデント、日本テレビ、TOKYO FMなど各メディアにコメント及びインタビューが掲載されています。
プリスクールの元経営者であり、都内の幼小中の教育課程のあるインターナショナルスクールの共同オーナーの一人です。
国際バカロレア候補校のインターナショナルスクールの共同オーナーのため国際バカロレアの教員向けPYPの研修を修了しています。