歌姫ビヨンセ
双子が生まれ、3人の子ども母として活躍する歌姫ビヨンセ。
子どもがができると社会に対して向き合う姿勢が変わったのでしょうか?
ビヨンセは、2016年にリリースしたアルバム「Lemonade(レモネード)」を記念して、奨学金を設立することを公表しました。
▼アルバム「Lemonade」のリリースを発表したビヨンセのインスタグラムより引用
ビヨンセの音楽活動は、既存の音楽プロモーションを自ら構築しながら進む「破壊的な創造者」の側面が強いと言われています。
リリースされた「Lemonade」もこれまでの音楽プロモーションからかけ離れています。
名門ケーブルテレビ局HBOの夜のいい枠を1時間買い取って、そこで自分のアルバムを流す
そんなビヨンセがアルバム「レモネード」の売り上げから奨学金を設立しました。
編集部では、「なぜ、ビヨンセがレモネードで奨学金を設立したのか?」について考えてみた。
ビヨンセの願いと奨学金
ビヨンセは、レモネードを記念した奨学金「FORMATION SCHOLARS」を設立した理由についてTwitterで次のように述べています。
アルバム『レモネード』の1周年を記念して、ビヨンセ・ノウルズ・カーターは、2017年から2018年度の女子学生を対象に「フォーメーション・スコーラーズ・アワード」と名付けた奨学金制度の創立を発表します。
本奨学金は、固定概念にとらわれずに物事を考えることができ、冒険心があり、創造的で、好奇心と自信に満ち溢れた若い女性をサポートするために設立されました。
1大学に1名ずつ合計4つの奨学金が授与される本奨学金は、アート、音楽、文学、アフリカ系アメリカ人研究に励む女性の学生と大学院生の収入を支援します。
奨学金のポイントは、「女性」と「アフリカ系アメリカ人」です。
これまだ数々のアルバムを発表してきたビヨンセですが、なぜ、「レモネード」というアルバムで奨学金を設立したのか?
「レモネード」を掘り下げてみましょう。
▼「レモネード」のリリースを公表するビヨンセのインスタグラムより引用
なぜ、アルバムタイトルが「レモネード」なのか?
今回のアルバムタイトルの「レモネード」。
実は、「レモネード」にまつわることわざがあります。
それがこちら。
When life gives you lemons, make lemonade
(編集部訳:逆境でも、それに負けずにベストを尽くせ)
すなわち「すっぱいレモンを与えられても、工夫次第で甘いレモネードに変えることができる」という意味が含まれています。
すなわちビヨンセが「レモネード」で創立した奨学金は、酸いも甘いも乗り越えてほしい、という願いが込められています。
ビヨンセの社会活動と奨学金
ビヨンセ(Beyoncé Giselle Knowles)は、アメリカのテキサス州ヒューストンで1981年に生まれました。夫は、ラッパーのジェイ・Z。
▼夫のジェイ・Zのインスタグラムにもビヨンセや家族も載っています。
アフリカ系アメリカ人の父、アメリカインディアン、フランス人の血を引く母の元に長女として生まれたビヨンセですが、現在は、ジェイ・Zの間に双子を含め三人のお子さんがいます。
様々な血を受け継ぐビヨンセは、芸能界に入った後もマイノリティーとして複雑な感情があったようです。
その思いは、「世界人道の日」のキャンペーン大使として、「アイ・ワズ・ヒア(I Was Here) 」という曲になりました。
ビヨンセは、2012年の「世界人道の日」(World Humanitarian Day) のキャンペーン大使となり、楽曲「アイ・ワズ・ヒア」(I Was Here) と、そのミュージック・ビデオ、国連で撮影したショットを提供した。
ビヨンセは、国連の議場から戦争、紛争地域、飢餓、抑圧される人々の姿とともに想いを歌にして問いかけます。
ただ皆に知ってほしい。私は自分にできる最大の努力をしたことを。
誰かに幸せをもたらし。この世の中を少しだけよくすることができたのは私がここにいたから。
I just want them to know That I gave my all, did my best Brought someone to happiness
Left this world a little better just because I was here
ビヨンセのこの曲は、世界人道の日のパフォーマンスから社会活動へセレブを巻き込みながら広がっていきます。
慈善活動にも取り組んでいたビヨンセですが、今回の「レモネード」はアフリカ系アメリカ人女性を取り巻く社会問題をメッセージに入れたアルバムです。
その全曲に呼応するショートフィルムは、アフリカ系アメリカ人女性を取り巻く社会的な問題に取り組む姿勢が高く評価された。
「レモネード」はビヨンセが行動主義を深化させることの証明ともなっており、「フォーメーション」はアフリカ系アメリカ人に対する警察の対応を批判したことで物議をかもした。
ビヨンセが奨学金を出す大学とは?
今回の奨学金は、次の大学、大学院で音楽や芸術、文学、アフリカ系アメリカ人の分野を学ぶ女性を対象としています。
■ バークリー音楽大学
バークリー音楽大学(Berklee College of Music)は、1970年に創立されたアメリカのマサチューセッツ州ボストンにある音楽大学で、世界約90カ国から約4500人の学生が主にジャズおよび現代アメリカ音楽を学んでいます。
同校の年間授業料は、約1000万円。
バークリー音楽大学のブラウン学長は、ビヨンセの奨学金創立について次のように公式ホームページでコメントを述べています。
バークリー音楽大学の公式ホームページに掲載された奨学金のお知らせ。
『私たちバークリーもビヨンセをシンガー、作詞家、音楽プロデューサー、パフォーマーそして、博愛者として彼女を愛してやまない。彼女は、私たちの生徒にとって強く影響を与える素晴らしい手本となっている』とバークリー音楽大学のブラウン学長は語る。
“We at Berklee love Beyoncé. As a singer, writer, producer, performer, and humanitarian, Beyoncé is a strong and inspiring role model for our students,” said Berklee President Roger H. Brown.
![](https://www.berklee.edu/logo.png)
Berklee is the premiere music college and performing arts conservatory. Degree programs in Boston, Mass. (U.S.), Valencia (Spain), and online. Apply now.
■ハワード大学
ハワード大学(Howard University)は、アメリカの首都ワシントンD.C.にある私立大学で、1867年にアフリカ系アメリカ人のために創立された大学です。
14の学部から成り、約13000人の学生が学んでいます。
年間授業料は、学部で約125万円。学費が高騰するアメリカでは、安い授業料です。
■パーソンズ芸術大学
パーソンズ美術大学(Parsons School of Design)は、1896年創立のアメリカのニューヨーク州にあるアートとデザインの私立専門大学で約3800人の学生が学んでいます。
ファッション分野で世界3大スクールのひとつと呼ばれている。
Discover a New Kind of University in New York City | The New School
http://www.newschool.eduThe New School in New York City is the only comprehensive university where a renowned design school, Parsons, joins a liberal arts college, a performing arts college, and many programs and graduate schools including The New School for Social Research.
■スペルマン大学
スペルマン大学(Spelman College)は、アメリカのジョージア州アトランタにある1881年に創立された女子大学で、約2000人の学生が学んでいます。
スペルマン大学のホームページ スクリーンショット
A historically black liberal arts college for women located in Atlanta, Georgia dedicated to the intellectual, creative, ethical, and leadership development of its students.
ビヨンセが受けてきた教育とは?
編集部では、ビヨンセの生い立ちと教育を調べてみました。
▼ビヨンセが通っていたと考えられるセントメリーズ幼稚園のスクリーンショット
ビヨンセが通ったセントメリーズ幼稚園。
ビヨンセは、7歳頃からダンス・スクールに通い、当時のダンスの先生からの勧めもあり、ガールズ・グループ「ガールズ・タイム」 (Girl's Tyme) を結成します。
「ガールズ・タイム」は、母親がプロデュースしていましたが、鳴かず飛ばず。
▼ビヨンセが通っていたと考えられるパーカー小学校の校章には、音符が入っている。
ビヨンセが通ったアメリカのテキサス州ヒューストンにあるパーカー小学校(Parker Elementary school)
「ガールズ・タイム」が売れないため、なんと父親のマシュー・ノウルズが、当時勤めていたゼロックス社を辞めてマネージメントを引き受けます。
同時にグループ名を「デスティニーズ・チャイルド(Destiny's Child)」に変更し、1997年にデビューします。
▼ビヨンセが通っていたと考えられるElsik High School
ビヨンセが学んだElsik High Schoolの公式ホームページ スクリーンショット
父親のマシューの手腕により、デスティニー・チャイルドは、すぐに全米で人気のグループになります。
2005年にバービー人形になるほどの人気となりましたが、マシューの手腕とメンバー間の確執によりあえなく解散。
その後、ビヨンセは、ソロ活動をスタートし、2008年にラッパーのジェイ・Zと結婚。
現在は、三人の子供を育てるとともに、音楽・社会活動に取り組んでいます。
ビヨンセの教育への思い
アーティストとしての活動と奨学金設立から見えてくるビヨンセ。
そこには、ビヨンセが立ち向かってきた「女性」と「アフリカ系アメリカ人」という社会問題があり、自ら行動することで打破しようつする姿と同時に同じ思いの女性をサポートする気持ちを感じます。
今後、ビヨンセの「レモネード」奨学金から、どのような学生が社会に飛び立ち、活躍していくのでしょうか。
その活躍とともにさらにビヨンセの活躍がリンクしていきそうですね。
▲ビヨンセのインスタグラムから引用
インターナショナルスクールタイムズの編集長として、執筆しながら国際教育評論家として、NHK、日本経済新聞やフジテレビ ホンマでっかTV、東洋経済、プレジデント、日本テレビ、TOKYO FMなど各メディアにコメント及びインタビューが掲載されています。
プリスクールの元経営者であり、都内の幼小中の教育課程のあるインターナショナルスクールの共同オーナーの一人です。
国際バカロレア候補校のインターナショナルスクールの共同オーナーのため国際バカロレアの教員向けPYPの研修を修了しています。