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②西町インターナショナルスクール「世界に貢献できる人間を育てるために」

②西町インターナショナルスクール「世界に貢献できる人間を育てるために」

西町インターナショナルスクールの教育と多様な生徒構成のための「アウトリーチ奨学金」のイベントに参加してきました。西町インターナショナルスクールの特徴が現れた講演会でした。


ルイーザ・ルビィンフィーンさんの講演

親子の二代、西町で学んだルビィンフィーンさん

 西町の教育を
 1「インターナショナル」(国際的)
 2「バイリンガル・バイカルチャー」(二か国言語・二か国文化)の視点から講演されました。

 西町の同窓生、さらに保護者として「国際教育」について浮き彫りにされています。

 こんばんは。ルイーザ・ルビィンフィーンです。
 私は、アメリカ生まれですが、東京にはこれまで何回も住んだことがあります。
 日本での滞在年数は長年に及びます。
 私も兄弟も1963年から73年に西町で学びました。

 そして、3年前に日本に戻り、子どもが西町に入り、西町の保護者となりました。

 私の西町での経験、さらに子どもの入学を含め、私は長い間、西町とかかわってきました。

 そのため、西町の教育―国際教育について考えることがありました。

『多文化」、「国際的」について

 では、「多文化」、「国際的 とはどのようなことでしょうか。

 国際教育、および外国人生徒の教育機会の提供において、西町は時代の先頭を走ってきました。

 高度成長期(1960年代~70年代)大使館や外国企業は駐在員の子どもの教育機会を考慮する必要がありました。

 子どもの教育機会のために多くの費用を負担する必要がありました。

 さらに当時、特定の言語、国を対象とした学校はほとんどありませんでした。

 そこで西町は、日本人生徒のほか、アメリカ、アフリカ、南アジア、香港、台湾、イスラエル、オーストラリア、 西洋の国々、東欧諸国からの生徒を受け入れていました。

 今回の講演は、『西町における文化の多様性』がテーマです。
 『西町における文化の多様性』とは、「西町」の「国際性」のなかにいる「私」であり、それは私個人の経験から導き出されたことではないでしょうか。

 ここのいる方は西町の基本的なこと、生徒数、カリキュラム、沿革などはご存知かと思います。

 しかし、親であれば子どもの学校について調べる機会があれば、教育方針やカリキュラム、生徒数など知りたいと思うものです。

 もし私が西町について調べる機会があれば、「インターナショナル(国際的)」である理由についても知りたいと思います。

 なぜなら「国際的」-これこそが西町の本質であり、他の学校との違いをもたらしているからです。

 西町の歴史の中は、多くの学校では、容易に共存させることが難しいふたつの形をとっています。
 ひとつは、西町が今日も努力を続けている多文化、異文化のコミュニティです。

 もうひとつは、西町が創設された時から力を入れている二か国言語、二か国文化の学習です。

 西町は、私の人生に、このふたつの視点をバランス良く学ぶ機会を与えてくれました。
 なぜなら私が学んだ年月のなかで西町そのものが国際的だったからです。


 日本に根付いた文化を持ち、多くの生徒が9年間一貫して学ぶことができる。

 多文化あるいは二か国文化の学校コミュニティの素晴らしさを多く感じることができました。

当時、私は西町で学んでいましたが、多国籍な生徒構成の良さ、そのために浮き上がる課題、など考えることはありませんでした。

 しかし、今、保護者として西町に関わることで、多文化な点を含め、さまざまな努力をしています。

 私たちはフードフェアで母国の食べ物を提供し、クラスメートに見せるために母国の衣装を披露します。

 このように西町では、世界各国の主な生産物、主な輸出品を肌で学び、「きよしこの夜」をドイツ語で歌い、「アリラン」をハングルで学ぶことができました。

グローバル化と教育

今となっては、グローバル化が進み、『異文化に対応できる能力が求められている』という議論は尽くされています。
 アメリカでも、グローバル化が進展したため、国内でしか働くことができない人材は困難な状況に陥ることが多くなっています。

 そのため、グローバル化した社会に対応できるように、子どもの教育段階で対応することが必要だと考えられています。

70年代初めに西町を卒業し、子どもを西町に入れた保護者は、次のように述べています。

『グローバル化』と言うのは、容易なことです。
 今では、世界中のあらゆる情報へアクセスできるようになりました。
 しかし、『グローバル化』を実践することこそが、難しいのです。
 国際的な能力を育むには、柔軟性の高い子どもの頃に学ぶことが重要ではないでしょうか。
 と話していました。

 確かに60年代、70年代の西町の教育を振り返ると、国際化という意味で時代を先取りしていたと思います。
 また、西町の出身者の女性は、こう述べています。
『西町で世界中から来た人たちと一緒に育ったことは、私自身の成長とその後のキャリア形成にとても役に立ちました。

 私は、世界中どこに行ってもさまざまな文化を共有でき、文化的に孤立感を感じることはありません。

 私が世界中で文化を共有し、相互に理解できるようになったのは、西町の教育の賜物です。』

 数年前、別の卒業生は次のように言いました。

「私たちが通った西町の強みひとつ。
 それは、日本人でもイギリス人、アメリカ人でもないけれど、西町で教育を受けて日本語、英語の言葉を話せるようになった家族とお付き合いができたことです。

 学校で、先生方は意識して、多様な文化、言語を持つ生徒たちを一緒にしてくれました。
 そのような経験から、二か国文化、二か国言語。
 実際には多言語の教育は、将来に柔軟性を与え、多くの選択肢を与えてくれました。

 私が話したことのある60年代から80年代に西町に在籍していた同窓生は、経済界、報道、建築、法律、災害救済、NPO、学術、演劇やビジュアルアート、医療などあらゆる分野で世界的に活躍しています。

 その後の職業において、西町で学んだ2つの言語を使う機会はなかったかもしれません。

 しかし、西町で学んだことは、彼ら、彼女たちの人生経験のなかで特別な価値を持っているようです。

 普段は西町で学んだことを意識しませんが、自然と西町で学んだことが話題に出てくるのです。

真の国際教育とは

 西町の教育の歴史が証明してきたことですが、過去に国際教育と言う考えにおいて、今までどのように主張してきたかということではありません。
 子供たちのキャリア形成における専門用語でもありません。

 例えば米国のこどもたちが自分の文化的多様性の代表という風におしえられている『文化的多様性』というものでもありません。

 西町の教育はそうではなく、国を超えた「インターナショナル(国際的)」なものなので、(文化的多様性の代表同士)文化的に同じタイプのもの同士で属するグループを見つける、と言うのではなく、生徒ひとりひとりの個性が尊重できるグループに属すると言うことの方が意味のある事なのです。

 同窓生のひとりがこう話してくれました。
 「私たちは人と違うということに無頓着でした。みんながそれぞれ違う個であり、人格を持っていました。」
 一方で、「国際的」であることは多くの責任を伴うものとみなされました。
 「国際的」という言葉はいつでも出てきます。

 西町の各学年や教室では多くの国の文化が出会います。

 西町での教育について振り返ると、ある意味で多文化、多様性における特別な機会を与えられていたように思うのです。

 例えるならば、それは世界の中の小さな小宇宙ともいうべきかもしれません。

 その小宇宙に流れる歌があるとしたら、それは、
 西町の校歌 「Let There be Peace on Earth and Let it Begin With Me」でしょう。

 もちろん、実際の教育現場では、教育方針があり、先生の指導、宿題、歌を歌うという授業風景が見られます。

 しかし、西町というインターナショナルスクールで実際起きていること。

 それは、子どもたちが多国籍な文化を有機的に自身のなかで発展させていることなのです。

西町の同窓生にインタビューしてわかることがありました。

 それは、国際教育のなかで育った人たちは、それが東京、カイロ、パリであれ、大人になってから国際的な文化背景を持った人を見つけるということです。

 そのような人と出会うこと。

 それは、堅苦しいものではなく、そのような環境で遊び学んだという経験や言語、価値観の共有であり、そのような世界観を作るプロセスが土台にあるようです。

 これは子ども時代の体験に由来するもので、一生ともにすることができます。

 そのような意味を考えると西町の教育は本質的に子どもたちに創造性、適応性、独立性をもたらしているといえます。

 例えば、海外で暮らすこと。
 私は、3年前から東京で生活を始めました。

 日本人であれば子どもを西町のようなインターナショナルスクールに通わせることですが、それは、単に二か国言語、二か国文化という視点だけではありません。

 それは、国際的な環境で生活をするという素晴らしい機会なのです。

二か国言語、二か国文化について

 西町の二か国言語・二か国文化の側面についても触れてみたいと思います。
 「バイリンガル・バイカルチャー(二か国言語・二か国文化)」は、「インターナショナル(国際的)」と同じではありません。

 そして、「バイリンガル・バイカルチャー(二か国言語・二か国文化)」、「インターナショナル(国際的)という言葉が持つ響きほど単純ではないのです。

 「インターナショナル(国際的)」とは、人の心にあるといえます。
 例えば、西町の校舎や校庭にあるのです。

 しかし、一歩、踏み出した校門から先にはありません。
 そこから先は、日本なのです。

 教育内容、指導言語が英語という西町は、「インターナショナル(国際的)」を現実なものとして捉え、さらにその中心を意味し、もっとも重要な視点として学校の方針に取り入れました。

 その意味で、西町はまさに現実的な「インターナショナル(国際的)」スクールといえます。

 西町は、子どもたちに「インターナショナル(国際的)」な考え方ももたらしました。

 子どもたちは成長過程で、さまざまな機会と困難に遭遇します。

 子どもたちにとって、そのような教育の場にしよう、という西町の教育方針がそこにあります。

 そして、子どもたちに日本の言語、文化、暦に親しんでもらうという決断が基礎にありました。

 西町が二か国言語、二か国文化を教育の柱として位置づけ、それを実践していくことは、とても大変なことだったと思います。
 外国人の生徒が入学する時、ひとりひとり学習レベルは違います。
 また、育った文化背景、さらには子供の適性もまったく異なります。

 もちろん、学習への意欲も違います。

 日本語に対する情熱があるとは限らず、なぜ日本語を学ばなくてはならないか分からない場合もあります。

 また、進路先をアメリカの学校にした場合、自然と日本語と比べて、英語で学ぶ科目のテストやスコアが重視され、大事になります。

 そのようななかで、二か国言語、二か国文化を教育の柱とした西町は、さまざまな課題に直面しては、対処してきました。

 西町は、紆余曲折を経て半世紀にわたる国際教育の経験から、日本文化と日本語を教育の柱とする教育方針を堅持してきたのです。

二か国言語、二か国文化の体験について

 先ほども話ましたように、西町が多文化と二か国言語、二か国文化を教育の大きな柱とし、それを実践してきたことは、さらに西町の「インターナショナル(国際的)」に対する取り組みをさらに貴重なものとしました。

 日本に来る3年前のことです。

 私の子どもたちはアメリカのスペイン学校で学んでいました。

 そこは、英語とスペイン語の二か国言語、二か国文化の学校でした。

 その学校は、素晴らしく、多くの点で西町の教育を思い起こさせました。

 しかし、結果として、親として理解することがありました。

 それは、二か国文化・二か国・二か国言語を学ぶことは、ほとんど単一言語に制限するようなものである、と。

 つまり、二か国文化・二か国言語の教育は、子どもに二極化することを求め、二者択一を迫ることになるのだ、ということです。

 この点で、私は西町で生徒としての学習経験があり、今度は、親として、とても恵まれていたと感じます。

 西町は、幅広い国際的な多文化教育、そして、二か国言語、二か国文化の両方を提供してきた長い歴史があります。
 西町では、子供たちが主体です。

 子どもたちは、学校で仲間たちと言葉、文化を共同で作り上げ、参加し、さらに発展させていくことができます。

 このことについて話す機会のあったある外国人の同窓生は私に次のように述べました。
「西町を卒業後、多くの変化を経験してきましたが、自分を取り巻く多くの人たちとコミュニケーションができる術を得たような気がします。

 例えば、地元の学校、職場、軍、大学のコミュニティのメンバーを自分で選ぶことはできないですよね。
 西町で得たコミュニケーションの術はかけがいのない財産です。

 私が確信しているのは、西町の子供たちが、たとえ自覚していなくても、人とのやり取りを学んでいるということです。」

 この話を聞いていたある日本人同窓生は、次のように話してくれました。

 「西町で、グローバルになろうとする必要はありません。
  グローバルで生きる術そのものがある学校だからです。」

文化の多様性について

1、 多文化
2、 二か国言語、二か国文化
 の視点から西町の教育、国際教育についての講演でした。

「グローバル」は簡単だけど『グローバル化』を実践することこそが、難しい」というエピソードは印象的です。

 子どもたちのなかで多文化理解が進むエピソード「インターナショナルスクールで実際起きていること。
 それは、子供たちが有機的に自身のなかで多国籍文化を発展させること」

 ルビィンフィーンさん自身の体験とお子さんへの教育から「子どもに二極化することを求め、二者択一を迫る経験をさせる」と話されています。
 この考察が深く印象に残りました。

 講演後、ルビィンフィーンさんにお話をお伺いしました。

 海外転勤が多かったお子さんが西町で活き活きとしていたこと。
 さらにお子さんが日本の文化と自然に溶け込めるようにされたことをお聞きすることができました。

 それは、NHKの特集でも取り上げられた、西町の元教員David Greenさんが開催されているキャンププログラムでした。

ディスカバージャパン

 Discover Japanは、25年以上も日本でプログラムを運営してきました。
 自然豊かな南房総にある南房国際村で、サマーキャンプ、自転車を使ったツーリングなど
さまざまプログラムを提供しています。
 また、冬には、スキーキャンプなども開催しています。
 さまざまなプログラムを通し、日本の文化、自然に触れるプログラムです。
 公式サイト http://www.discoverjapan.co.jp/

このプログラムに参加して、私の子どもはとても楽しかったようです。
海外から来て、日本の文化に馴染むのにDiscover Japanのプログラムはおススメですよ

 西町の歴史と創立者 松方種子の生涯について、阿南さんの講演で知ることができました。

 西町の国際教育について、親子二代で学んだルビィンフィーンさんは、実体験からお話してくれました。 

 3人目の講演者 中島さんは、21世紀の同窓生です。

 西町を卒業後、アメリカンスクール・イン・ジャパンに入学し、その後、ボストンの大学で心理学を学ばれました。
 心理を学んだ後に、選んだ意外な職業とは?

 西町の教育が、中島さんの選んだ職業に結びついているようです。

個性を大事にするからこそ

 西町の教育が私にもたらしたもの。
 それは、英語と日本語の両方を学べることを除くと―みんなが個性的であることが許される環境だったことです。

 西町を卒業し、アメリカンスクールに入学するまで西町が「個性的であることが許される環境」であったことに気付きませんでした。

 アメリカンスクールの生徒からすると西町出身の生徒はすぐにわかるようです。

 なぜなら「西町出身の生徒は、目立つからね」と。

 私からすると、逆にアメリカンスクールの生徒がほとんど同じように見えました。
 アメリカンスクールの生徒の誰もが、実に「普通」でした。

 誰も独特なクセを持っているようには見えません。
 また、親しい友人の間でさえおバカな振る舞いをすることがありませんでした。

 振り返ってみると、今では分かります。
 「西町の生徒は違っていた」と。

 なぜなら、私たちは西町で決してみんなと同化するように強いられることがなかったからです。

 自分の得意なこと、少し変わっていること。

 それが、ありのままの自分だから、むしろそれは自分らしいことだ、と。

 私たちはみんなに溶け込むために自分自身を「切り揃える」必要はなかったのです。

 個を大切にすること―は、私たちに魅力を与えてくれます。

 その人なりの特性があるからこそ、魅力的だと思うのです。

 また、違うことを大切にすることで、人はその人らしくいられます。
 それは、とても快いものです。

西町を卒業して

 西町を卒業後、おそらく多くの同窓生は、個性的であったため、卒業後、苦労することもあったと思います。
 しかし、西町を卒業し、高校に入るころには、そういった社会的な状況に対処できるほど私たちは人間的に成長していたと思います。

 また、西町で学んだ人は、出会う人を個として見るような傾向があると思います。

 そのために、西町出身者は、特定の人種や宗教、出身国など固定概念で出会う人の人間性について決めつけることはないと思います。

 このような見方が可能になった理由は、ふたつ考えられます。
 ひとつは、私たちが西町の教育のなかで「個を讃える(違うことを讃える)」ように教わったからです。

 「世界大使なれ」という西町の教育を通し、「私たちはみな違う、だからこそ世界は面白い」ということをつねに教わってきました。

 だからこそ、私は個の違い―その人が理解できないような行動をした時に、こう考えるようになりました。

 「たぶん、それが彼または彼女にとっては普通のことなんだ」と。
 そして、その後に自分に問いかけるのです。

 「ならば、自分に足りないものはなんだろうか?」と。

1年に一回 ブラウニーを配る日

 私は、いまだに2年生の時に起きたことを憶えています。
 その日、クラスメートのナタリーに「今日は、僕の誕生日なんだ」だと言ったら、彼女が嬉しそうに「ブラウニーは持ってきた!?」と訊いてきたのです。

 その日、私は家に帰って、母にその出来事を報告しました。

 「今日は、僕の誕生日だったけど、それを知った友達は僕が何かくれるんじゃないのか、と期待していたみたいだよ」と。

 友達の誕生日にブラウニーをもらえる。

 私にはそれが出過ぎたことのように思われました。

 母はこう答えてくれました。

「たぶん、ナタリーは-私の西欧出身の友人たちの多くが自分の誕生日にちょとしたプレゼントを配るように-ブラウニーをもらうことに慣れているのよ。
 だから、ナタリーは、『ブラウニーを持ってきた?』と言ったのよ。」

 そして、少し考えた後、母は『私たちもそうしてみましょう』と付け加えたのです。

 それから、母は、私が小学校に通っている間、誕生日になると友人たちにあげるバナナブレッドをせっせと焼いてくれました(笑)。

西町の生徒たち

 西町は教科書を通してではなく、世界中から集まった生徒たちと日常的に交友を深めます。
 もし私が誰かを理解したいなら自分の目ではなく『彼らの目で』世界を眺めるべきだ、ということも体得することができました。

 また、私は、その人がどのような文化背景を持っているのか、一度理解するとたいていの違いは、とるに足らない違いに感じられるようになりました。

 西町の生徒たちが個性的であることを許されたふたつ目の理由に、西町に家族のような雰囲気があったことが挙げられます。

 先生方は生徒たちのことを知り、生徒の成長を見守るよう務めてくれました。
 また、私たちのことをよく知っていました。

 だからこそ、私たちのひとりひとりの成長段階を踏まえ、柔軟に対応してくれました。

 小さな学校-だからこそ、私たちは3つも離れた上の学年から下の学年まで、みんなお互いを知っていました。
 もしキンダーから9年生Grade9まで西町に在籍すると、10年間おなじ仲間たちと過ごすことになります。

 それに中学校に上がると、ホームルームはすべて男女混合で7人から9人で構成されています。

 少人数なので、私たちはみんなのことを兄弟や姉妹のように知っていました。

 街中でふっと西町の友人とあっても、そこに時間の流れは関係ありません。

 10年以上ぶりに友人たちと先生方と会って、彼らの奥さん・旦那さん、子供たち、お孫さんたちに何らのためらいやためらいもなく紹介してもらえます。

 そんな家族のような雰囲気が西町の同窓生にはあります。

西町ファミリー

 家族のような雰囲気だからこそ、いたるところに目が届きます。
 私が何をしたのかみんな知っていました。
 違う学年の親たちでさえも、しばしば私が何をやらかしたのか知っていることがありました。

 もしあなたが学校や近所で少しでも度が過ぎたいたずらをやらかせば、翌朝には、みんなに知れ渡っています(笑)。

 人と違っていることは大切ですが、社会常識を踏み外すことは決して、許されませんでした。

 だから自然と生徒は社会的な常識を自分で理解することにつながりました。

 社会常識のなかで、行動すること、自分を律すること。
 それが重要でした。

 自分を律するといえば、ダドソン先生の最初の授業が忘れられません。

 西町に赴任されて最初の授業でダドソン先生は、私たちにこう言ったのです。

 「私の授業を受ける生徒全員がすべての授業に出席することを期待しています」と。

 「(クラスメート一同顔を見合わせ)?」

 クラスメートのだれもが彼女の言っている意味が理解できませんでした。

 なぜなら、私たちは授業を「サボる」ことを知りませんでした(笑)。

 また、授業を「サボる」理由さえわかりませんでした(笑)。

 あの当時、少なくとも私たちの学年で、だれも「サボる」なんていう発想がそもそもありませんでした(笑)。

"Small School"だからこそ

 もう少し規模の大きい学校に行っていたら、
 必ずしも仲良くなることができなかった人とも出会い、友達になりました。
 西町では、規模も小さく、少人数なので、私たちは何年も同級生と密に過ごします。

 例えるならば、私たちはまるで兄弟や姉妹のようにして一緒に育ちました。

 それだけで、私たちの間に強い絆が生まれるのに十分でした。

 私たちはひとつの家族のようだったので、お互いの性格や興味、価値観や考え方を本当に理解できるようになりました。

 たまに、自分とずいぶん異なっている友人もいましたが、私たちは、それを尊重する術を身に着けていきました。

かくれんぼ~勝者のかおり

 5年生の時のことです。
 群馬県の鹿角(西町の郊外施設がある)に行って、学年全員でかくれんぼをしたことがありました。

 最後まで隠れていたひとりを除いて、みんな見つかってしまいました。

 見事に隠れ通した男の子がかくれんぼの勝者でした。

 私たちは広場を巡りながら、みんなで彼の名前を呼びました。

 みんなの声に押され、かくれんぼの勝者―彼が隠れていた場所から出てきました。

 そして、私たちと合流した時のことです。

 その時、彼の身体からはひどい臭いがしました。

 なんと彼は、何週間も前からゴミが入れらていた鉄製の巨大なゴミ捨て場に隠れていたのです(笑)。
 先生方は彼にシャワーを浴びさせ、彼が着ていた服すべてを洗いました。

 しかし、体に染みついた臭いは、収まる気配はありません。

 染みついた臭いは、ベッドルーム全体にも匂っていました。

 あまりの臭いにクラスメートのなかには、寝付けない子もいたようでした。

 しかし、かくれんぼで最後のひとりになるためにゴミ捨て場に隠れ通す彼の行動を私たちは面白いと思いました。

 だれも彼を苛めたり、意地悪をする人はいませんでした。

 なぜなら、私たちはみんな彼が―面白いことが好きな、気持ちのいいやつだということを知っていました。

 それに、ゴミ捨て場に最後のひとりになるまで隠れ通したことを、彼らしいね、と理解していました。

 私は、彼に「かくれんぼの時、ゴミ箱に隠れていてひどい臭いがしなかったのかい」と訊いてみました。

 すると彼はくすくす笑いながら大声で答えてくれました。

 「もちろん、臭かったよ!!!」と(笑)。

西町だからこそ

 西町には個性の強い人たちがいっぱいいました。
 それはなにも西町が個性的な性格の学生のみを受け入れていたからではありません。

 個人を尊ぶ環境を西町が育んでいたからです。

 西町は、私にお互いを理解することの重要さを教えてくれました。

 西町のように安全で気遣いのあるコミュニティーの中で、伸び伸びと育つことができたことに感謝しています。

中島さんの講演を聞いて

 西町の教育についてユーモアを交えながら、話してくれた中島さん。
 中島さんは、西町を卒業後、高校は、アメリカンスクールに通われました。

 その後、ボストンの大学で心理学を学んだ後、演劇に興味を持たれました。
 アメリカで演劇について学んだ後、日本に戻り、俳優としてその道を歩み始めました。

 現在、文学座で俳優としてその道を歩み始めています。
 心理学と演劇。

 関連性に大きな開きがあるように感じていた私に、中島さんはわかりやすく説明をしてくれました。

心理学も演劇も人間の心理を突き詰めるという点で、同じところに収斂されていくと思います。
心理学を学んだ後、演じるというところに私は人の心理描写を含め、興味を持ったのです。

 心理学を学んだ後、俳優として歩み始めた中島さん。
 そこには、人間の心理を突き詰めたい。
 そうした中島さんの貫かれた考えがありました。

アウトリーチ奨学金の夕べでは、さらに奨学生のスピーチがありました。

 そこでは、西町を通し、多様な文化を理解し、尊重できるようになったこと。
 そこから将来の自分の人生を切り拓いていく様子も聞くことができました。
 アウトリーチ奨学金を活用し、多様性をさらに進める。

 それが、西町の教育文化をさらに強め、次の世代をさらに育てる。

 西町らしい教育をさらに西町らしく。

 西町の教育理念がまさにアウトリーチ奨学金に反映されていました。

西町インターナショナルスクール 

住所・連絡先
 西町インターナショナルスクール
 〒106-0046
 東京都港区元麻布2-14-7
 URL http://jp.nishimachi.ac.jp/
 Tel 03-3451-5520
 Fax 03-3456-0197

アクセス
 地下鉄が便利です。
 麻布十番駅より徒歩10分、広尾駅より徒歩14分です。
 なお、住宅街のため、付近に車を駐車することはできません。

編集後記
 今回、西町の教育、さらにその文化に触れる機会にお声をかけていただきました。
 西町のご関係者のみなさま、また、特に渉外開発室のエマール様、中山様に深く感謝申し上げます。阿南・バージニア・史代さんの講演で創立者松方種子の生涯と西町の歴史を浮き彫りにし、さらに親子二代で西町の教育を受けたルイーザ・ルビィンフィーンさんの講演では、西町の国際性と多様性について知ることが出来ました。中島さんの講演は、西町の学校風景を伝えてくれるお話でした。
また、アウトリーチの夕べに出席させていただき、西町が家族的な雰囲気にあふれた学校であることを実感しました。西町の教育を掘り下げていくと「家族のような」雰囲気がする理由がわかりました。
 松方家の私邸-松方ハウスから始まった教育が原点であること。創設者松方種子の教育理念の背景には、母美代が受けた教育が大きく影響を与えていました。さらに明治に日本とアメリカで活躍した松方種子のふたりの祖父 松方正義、新井領一郎という人物が浮かび上がってきます。西町の歴史を振り返ると、そこには明治から現代までの日本の歴史が重なって見えます。
 世界で活躍する人間を育てるという教育理念。
 その教育理念は、松方ハウスで芽吹き、戦後に西町インターナショナルスクールとなり、同窓生の活躍で裏付けられました。
 そして、創設者松方種子の教育への情熱は、今もなお、引き継がれています。

この記事のライター

都内でインターナショナルスクールを運営した経験から現場の目線と記者としての目線で記事を書いています。

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